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薬王院 醫王山 慶徳寺
31世 現住職 鷲峰 俊紀
創建年代 永正元年(1504)
開山 嫩桂祖香(ドンケイソコウ)大和尚…群馬県館林市茂林寺三世
開基 岡部玄蕃守藤原元親(中興)
水野太郎作(戒名 南叟浄薫居士)
文化財 四天王
山門
薬師堂
薬師如来
日光菩薩・月光菩薩(脇侍)
十二神将
天女・龍(天井絵) 陰山道益 作
昭和五十二年 町有形文化財指定
寺院解説
永正元年(1504)室町時代足利幕府の末期で戦国時代が始まろうとしていたころ、「中李淳異(チュウフジュンイ)」は慶徳寺を建立。
中李淳異は群馬県館林市茂林寺三世「嫩桂祖香(ドンケイソコウ)」に住職になるよう懇願し開山となる。嫩桂祖香の意思をつぎ中李淳異が二世となる。
三世となった「節香徳忠(セッコウトクチュウ)」は大永元年(1521)に長野県佐久市前山に貞祥寺を開山する。(後、直末11ケ寺、孫末20ケ寺を有し大本山永平寺貫主となり天皇より「勅特賜佛光円明禅師」号を賜る)
当寺の末寺は嵐山町志賀にある寶城寺、嵐山町吉田にある宗心寺、加須市花崎にある法泉寺
曾孫寺はまで数えると42ケ寺を有する。
現在は31世となる。
沿革
元和二年(1616)中李淳異の後援者で地頭の岡部玄蕃守藤原元親が亡くなり徳川吉宗の代、本堂は元寺台(参道右手高台)にあった。
元文四年(1739)12月11日に当山全焼失。四天王門と薬師堂は別場所にあり消失を免れ現在に至る。
安永三年(1774)当時の十八世徒順恵匡(トジュンエキョウ)と次期十九世潮海梵良(チョウカイボンリョウ)と共に35年間を費やし現在地に再建となる。
当山は城構えで山、沼、空堀があり本丸に当たるところに本堂が配置されている。
寛政三年(1791)3月3日、記録書として20世泰完可全(タイカンカゼン)は福島東雄に境内絵図を依頼し完成となる。
その後、30世禅楽茂俊(ゼンガクモシュン)は
昭和三十年(1955)草屋根を瓦屋根にし庫裡を新築
平成 二年(1990)東堂新築
平成 四年(1992)沼の護岸、本堂修築、客殿新築、庫裡新築、書院新築
平成 五年(1993)5月15日、30世禅楽茂俊退董
同日5月15日、31世雲峰俊紀(ウンポウシュンキ)晋山、江湖会、諸堂落慶 現在に至る。
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